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人生50年、今は昔……。しかし、寿命は不変。社会環境や食生活は変わったが、人間にとって根本的なことは昔も今も変わらぬと思う。
気持ちは若くとも体がついてゆけない。
中原美紗緒(シャンソン歌手)、安井かずみ(作詞家)、二条さゆり(ストリッパー)、そして美空ひばり、今日は上月晃のニュース。五十代で終えている有名人の方々。身近でも、町会の奥さんと五十代の別れ。
テレビの相撲中継や歌謡曲を聴き、自分のことは辛うじてしている明治生まれの母を思うと……長生きするか否か、明日は明日の風が吹く!
過ぎ去った日々は、夢か幻のごとく脳裏から遠のく。私も老人力がついてきた。
どこへ行くにも、家族のイベントにも、欠かすことのなかったカメラ。スナップ写真はもういいかな。そんな折、どろぐまさんとの邂逅。「ひげ太夫」の旗揚公演、第二回公演とお世話になった。個人的に撮って下さい、なんて思っちゃいました。
母の時代のように化粧もせず髪をひっつめにすると、あーっ、私も年相応。日々増えるシワに白髪。しかし風呂上がりのこの顔もよいものだ。ぼーっとしていた表情も、出かけようとメイクを始めれば生き生きとしてくるし、気も明るくなってくる。是非そんな一日を…。
そこから話が始まった。どろぐまさんからのラブ・コールがなかったら、今年の二月は、本当に何事もなく、寒いブルーな月で終わっていたことだろう。何しろ、ぼーっとしていた冬。
撮影当日、寝起きが悪く、何となく、かったるい。「素顔から始まるある一日の私」を目標にしていたので、恥ずかしながらすっぴんで駅まで出向いた。
「いつものかさいさんと違う」控えめにおっしゃるどろぐまさんでした。
(「あたり前田のクラッカー!」とつい出てしまう古いネタ) これが、この年の実のわ・た・し。
「ひげ太夫」の公演では、座長が私の持ち味を生かして下さるので、舞台では常にハイテンション。お笑いのライブでも、気を入れて声高、「いつもパワーがあるね」と言ってもらえる。二月にあった四谷でのお笑いバトル・ライブも、どろぐまさんに来てもらい、より張り切ったものだ。しかし、これが私の実像である。
二十年近く勤務した幼稚園、ご多分にもれず、マニュアル通りの仕事をする年々若くなる職員。そして、物忘れがひどくなり、年々ぼけてくる私(定年がある訳が分かる気がした)。
このギャップは、お互いにストレスになる。そして不況も同じように保育の現場にもやってきて、私の給料で、2人の新任を雇えるという経営者。老人にはまだ少し早いし、若いとは言えないし、……この中途半端なエネルギーを……
そうだ、これからの人生、笑って生きて行きたい!
お笑い人生。潜在意識で眠っていた、下町生まれのせっこちゃん。今が旬、今ができる年なのだ。
人は「どうして今頃」ときくが、明日はすぐ来るけれど、明日のことなど分かりませんもの。ひらめいたら、即実行。未熟ながらも、生きてきた月日は長い。この経験を生かせたら、私のおしゃべりを聞いて下さった方に少しでも楽しんでもらえたら……
“ところ変われば品変わる”ではないが、幼稚園の仕事では若い先生から、「河西先生は打ち合わせしたときと違ってしまって困る」と、迷惑をかけた。事務職と異なり、幼児は思った通りにはいかないので、現場では臨機応変を望む私であった。
が、お笑いや「ひげ太夫」では逆で、若い方々が胸を貸して下さり、「かさいさんの本番は打ちあわせや練習と違って面白い」と心が広い。“生かされる場”をしみじみありがたいと思う今日この頃。
三月、新宿にそびえ立つ高層ビルの谷間、静かなカフェ・レストラン。どろぐまさんからファイルされた写真を……。ウ、ワーオ!すごいぞ、すごいぞ、これ、ダーレ、わたし?
お笑いのネタや、この先のことを考えて、行き詰まって心沈む日々であった。先ほど(新宿はお笑いの稽古で通っている)の稽古もいまいち……。
見終わって元気が出てきた。被写体は私であるのだ。不思議なパワー。見入ってしまった。
やってよかった。これは自分史である、と私は思う。
1999年4月
かさいせつこ
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